top of page
  • 執筆者の写真inolytictherapy

セラピストの国語辞典7〜「勝つ」と「負かす」

更新日:1月23日

「勝つ」と「負かす」というのは、客観的には同じ状況を指しているように思われます。「AさんがBさんに勝った」とも言えますし、「AさんがBさんを負かした」とも言えます。今回はこの二つの違いを、Aさんの内面、とりわけ動機の観点から考えてみたいと思います。


まず、「勝つ」という場合、勝つ喜びや達成感を得ることに動機があると考えてみましょう。この場合、Aさんは勝ったことを喜ぶことができ、それで満足します。それを見ているBさんも、Aさんの純粋なる喜びに共感を覚え、Aさんの勝利を祝福することができるでしょう(Bさんにも、勝つ喜びを得ることに動機があれば、ですが・・)。互いに全力を尽くして戦った者同士、互いを称え合うこともできるでしょう。勝負が終わればお互い恨みっこなし、というやつです。ウィン・ウィンで終われる戦いです。


次に、「負かす」という場合、相手に負けた屈辱感を与えることに動機があると考えてみましょう。この場合、Aさんは勝った喜びがないわけではないでしょうが、それだけでは満足しません。Bさんが屈辱を感じているかどうかが気になって仕方ありません。BさんがAさんの勝利を祝福などしようものなら、その潔さにむしろ人間的には負けている気がして、なんとかBさんに恥をかかせてやろうという悪意が沸々と沸いてくるかもしれません。つまりこの場合、ウィン・ウィンには収まらず、勝負が終わっても戦いは終わらないのです。互いを称え合うことなど程遠く、恨みっこアリアリで後味の悪い勝負となってしまいます。


ちなみにこのとき、Bさんの側が勝つ喜びに動機を置いていた場合、Aさんの絡みに辟易してしまうでしょう。また、Bさんの方も屈辱を与えることに動機がある場合には、もう泥仕合です。なお、スラムダンクをはじめとして、「負かす」から「勝つ」への変容を成長として描いた作品はいろいろ思い浮かぶかもしれません。


勝負する二人

マンガやアニメであればわかりやすく描かれるので楽しんでみていることができますが、当事者になると事態は複雑です。一つの例として、小さな子どもの遊び相手をするシーンを思い浮かべてみましょう。大人は小さな子どもの遊びに付き合って、わざと負けてあげることがあるでしょう。遊びの題材はごっこ遊びだったり、なにかのゲームだったり様々でしょう。


ここで、子どもが「勝ちたい」と思っている場合、大人が負けてあげることで子どもも喜んでくれます。勝つ喜びを得ることに動機があるからです。嬉しそうな子どもの様子を見て、大人の側も、自分が「おとなな対応」をしてあげられたことに自尊心を満たされつつ、子どもとの遊びを楽しむことができそうです。つまりウィン・ウィンの関係です。


ところが、子どもが「負かしたい」と思って遊んでいる場合には、なかなか骨が折れそうです。子どもは大人が負けてあげただけでは満足せず、負けてあげた大人をさらに馬鹿にしたり、追い討ちをかけたり、死人に鞭打つような仕打ちを執拗に繰り返すかもしれません。


なぜなら、子どもの動機が相手に屈辱感を与えることにあるからです。大人が「おとなな対応で負けてあげたぞ」などと自尊心を保っているうちは、その自信が微妙に子どもにも伝わり、「コイツめ、もっと痛めつけてやる!」となるわけです。


こうなると、大人が大人としての自信を失って、「もうこんな思いをしてまで遊びたくない」と心底思うまで子どもは満足しないということになります。これは付き合う大人にとってはかなりハードな仕事です。


子どもとの遊びが楽しいときと、疲弊してしまうときとの違いというのは、案外こういうところにもあるのかもしれません。


なお、「勝つ」という言葉で相手に屈辱感を与える動機を表現していることもあるでしょうし、「負かしてやる」と言いながら、勝つ喜びで満足する場合もあるでしょう。大事なのは、背景にある動機の違いをよく考えることです。

最新記事

すべて表示
bottom of page