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セラピストの国語辞典5〜「計画性」

更新日:2023年10月13日

課題や仕事がいつもギリギリになってしまう。やるべきことを後回しにして、間際になっていつも焦る。そういう人は、しばしば自分のことを、些か自虐的に「計画性がない」と表現したりします。自虐的なのは、それが多くの場合、親、教師、上司等々から注意されたり、叱られたりしたときに言われてきたことだからでしょう。


ところで、そういう人に「実際に締め切りを過ぎてしまったことはどのくらいあるんですか?」とお聞きしますと、「そうなったらヤバいので、いつも徹夜で終わらせます」などと返ってくることがしばしばあります。つまり、案外締め切りに間に合っているのです。もし、本当に計画性がないのであれば、もっと頻繁に締め切りを守れないことがあってもよさそうです。


ここから推測されるのは、このようなタイプの人は自分の限界値をかなり的確に見積もっているということです。直観的ではあるのでしょうが、今抱えている課題や仕事の質と量からして、締切に間に合わせるには、いつからエンジンをかけねばならないか、かなり正確に把握しているということです。これは、ある意味「計画的」と言ってもいいでしょう。なぜなら、その見積もりのとおりに、だいたいいつもきちんと締め切りを守れるからです。



おそらく、「計画的」というのであれば、もっと前もってやっておけばいいじゃないか、という反論があるでしょう。しかし、ここでよく考えていただきたいのは、「前もってやる」という要素は、「計画性」の必要条件ではないということです。「前もってやる」という計画を立てることもできますし、「直前に時間と労力を集中投資する」という計画を立てることもできます。そんなの計画じゃない!と言いたい人は、奇襲作戦とはなにか振り返ってみるといいでしょう。奇襲作戦を成功させるには、直前まで動きを気取られてはいけないのです。直前になって一気に動くというやり方は、計画として立派に成り立ちます。


そんなの詭弁だ!という反論がまた聞こえてきそうです。なぜなら、奇襲作戦は動くのが直前になるだけで、計画自体は前々から練られているじゃないかというツッコミがありえそうだからです。こういう反論をする人は、おそらく暗黙の裡に、集中投資タイプの人は直前になるまで何も考えていないのだと憶測しているのでしょう。


しかし、実際のところどうでしょう。集中投資タイプの人は、自分がどういう作戦で成功するタイプなのか、よくわかっているところがあるように思われます。どのみち自分は直前にならないとエンジンかからないタイプだからなぁ、と、自分のスペックをよく理解しているのではないでしょうか。ただ、それを口に出せば、周りから「だらしない」とか言われてしまうことをわかっているので、あまり表立っては言えないのです。


ですから、集中投資タイプの人がいわゆる「計画」を立てないのはよくわかる気がします。綿密なスケジュールを作ったところで、自分がその通りに動かないことはよくわかっているので、リアリティがないわけですから。こういう人にとっては、いつ何をやるか、というスケジューリングよりも、To Do リストをいつも持っておいて、自分のキャパシティの見積もりに従ってエンジンがかかったら、上から順に潰していく、という管理方法の方がスペックの活かし方としてしっくりくるかもしれません。



ところで、私自身は集中投資タイプではありません。そんなに集中力がもたないのです。せいぜい2時間くらいです。それ以上の時間でも机の前に座っていることはできますが、生産性が落ちることは自分でよくわかっているので、そんなことはしません。さっさと他のことをします。


そのようなスペックの人間ですから、明日締切りの案件があったとしても、徹夜で終わらせることはできません。集中投資タイプの人にとってのスケジューリングと同じで、徹夜で終わらせるぞ!と意気込んだところで、途中で眠ってしまうことは自分でよくわかっているのです。つまり、私のようなスペックの人間にとって、ギリギリになってしまったらアウトなのです。もうどうしようもないのです。


そこでどうするかというと、できるだけ多く時間を取って、短時間集中のチリツモを狙う作戦になります。つまり分散投資タイプなのです。これは、「前もってやる」という要素をふんだんに含むので、世間一般から「計画性がある」と評されることもあるでしょう。しかし、私のやり方が「計画的」と言えるとしたら、それは「前もってやる」という要素を含んでいるからではなく、集中投資タイプの人も「計画的」であるというのと同じ意味においてです。自分のスペックを知ったうえで、それを最適化しているということです。


(ですから、私は具体的なスケジュールを立てたりはしません。「いつまでに何をやる」という決め事は、進捗が遅れたときに集中投資を要求するからです。そして私は集中投資ができません。)


そうすると、「前もってやる」という要素を計画性の本質と混同したかのような、世間一般で言われる「計画的に取り組もう」というスローガンは、実のところ何を言っているのでしょうか。もしかすると、余裕を持ちたい、という、私たち働きすぎの日本人が忘れがちな心の叫びを、他人へのアドバイスに押し込んだものなのかもしれませんね。集中投資タイプの人を「計画性がない」と言って批判したくなるときは、自分自身が周りから、働け働け!時間厳守だ!と急き立てられていて、苦しい思いをしているのかもしれません。「前もってやる」という強迫観念から解放されたところに、その人ならでは「計画性」があるという景色が見えてくるでしょう。


※このブログで取り上げた「集中投資タイプ」というのは、ごく軽度ないしは診断閾下のADHD傾向の方に当てはまる部分があるのではないかと思われます。つまり、いわゆる「過集中」が生産的に機能する方たちです。こういう方たちは、たとえ診断が付いたにしても、元々、生活を営んでいくだけの力はあるので、医療的・福祉的支援は若干ニーズに合わない場合があるように思われます。その場合、具体的なサービスよりも、「だらしない」「計画性がない」という周囲からの長年の誤解によって低迷した自尊心を回復し、自分ならではの戦略というものがあるという自己像を構築していく心理療法的アプローチが助けになる場合もあるように思われます。なお、いわゆる「過集中」が大事なときに働かなかったり、働きすぎたり、その他の不注意等の特性に基づく事情により、生活を営むことにそもそも支障が生じている場合は、医療的・福祉的支援を受けたり、環境側に合理的配慮を求めたりといったことも、有力な選択肢の一つになってくるかと思われます。

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