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時計を置かないことについて

更新日:1月23日

当オフィスでは、お客様(以下、クライエント)から見える範囲には時計を置いておりません。それは、クライエントに分析セッションの時間を存分に使っていただくためです。その心について、今回は語ってまいりましょう。(なお、セッション時間をチョロまかすつもりは一切ございませんので、その点はご安心ください)


当オフィスはお約束のセッション時間に対して料金を頂いておりますから、セラピストとクライエント双方が約束通りの時間かどうか確認できるところに時計が置いてあるほうが好都合とも言えます。セラピストとしても、「はい、約束通りのお時間ですね」とお示しできる方が便利とも言えますし、形式的にはセラピストもそれで約束を果たしたことになります。


しかしながら、日常的な気遣いの一つとして、クライエントは時計が見えると残り時間を気にするものです。「あ、大事なことを思いついたのだけど、あと5分か、5分で話せるかなぁ、これは次回に回したほうがいいかなぁ・・」といったように。クライエントがこうした気遣いに基づいて、セッション時間の最後の5分を、思いついた大事な話をするのではなく、当たり障りのない(クライエントが5分で収まると思っている)話をするのに使ったとしたらどうでしょう。それで本当に、50分の分析セッションを提供したと言えるのでしょうか。私はこの場合、事実上、45分の分析セッションしか提供できなかったことになる、と言っても過言ではないと思います。最後の5分は分析ワークのためではなく、うまく話を収めるために使われているからです。



セラピストの懐中時計

とはいえ、実際5分間でそんなにたくさんの話ができるものでもないのでは、とお考えの向きもあるでしょう。では、それについて分析セラピストの実感を語ってみましょう。実は、5分間というのは、けっこういろいろな話し合い、あるいは分析ワークが生じる可能性のある時間と言えます。もちろん、ふつうの会話よりも早口で話すから、量が稼げる、ということではないのですが。


ではどういうことか。2つの点からご説明してみたいと思います。1つは経験からくる見積もりの精度といったこと、もう1つは分析セラピーならではの理由です。


まず前者ですが、5分間というのは、話してみると案外長いのです。けっこういろいろなことが話せるのです。とくに、さきほど例に上げたような、「あ、思いついた」というときには、その人の中で言葉が語られるのを心待ちにしているような状態ですから、話し出してみると、けっこう話せてしまうものです。


分析セラピストは、決められた時間の中で話し合うということを何百何千回と積み重ねてきた専門家です。5分間でだいたいどのくらいのことが話せるか、という見積もりに関して、一般の方よりはいくらか正確に思い描くことができます。どこまで聴いて、どこで話を収めるか、そうした判断も、訓練してきているわけです。ですから、クライエントには、「あと5分かぁ・・」という気遣いなしに、最後までセッション時間を分析ワークのために使っていただきたいと思うわけです。


そうはいっても、やはり5分で収まらない話というのはたくさんあります。それなら、尻切れトンボになるよりも、やはり次回に回したほうがまとまりもよいのでは、と考えたくもなります。日常会話や一般的なプレゼンテーションならば、その考えは妥当でしょう。


しかし、分析セッションにおいて行われているのは、日常会話でもなければ、まとまった主張をするためのプレゼンテーションでもありません。分析ワークなのです。ここに、さきほど申し上げた、分析セラピーならでは理由があります。



陰極まって陽となる図

思いついた話自体は、たしかに5分で収まらないこともあるでしょう。「起承転結」の「承」までしか話せないかもしれません。しかし、分析セッションにおいては、人の話は重層的で、多次元を行き交うものとして扱われます。一つの話は、その話自体として意味を持つと同時に、他の話や、分析セッションにおけるセラピストやクライエントの様々な振る舞いとの関連でも、意味を持つかもしれないのです。


つまり、その話自体は、「承」まで話す時間しかないとしても、そもそも「起」の時点で、そのセッションの前半で話していた別の話と結びついて、新たな意味が見出されるかもしれません。あるいは、その話の「起」や「承」は、ある次元では、3ヶ月前に話し合ったことの、もう一つの「転」や「結」として見えてくるかもしれません。あるいはまた、大事なことに限って途中までしか話せない、ということ自体が、分析ワークにおける躓きを理解するヒントになっているかもしれません。


そのようなわけで、分析セッションにおいては、どのような話も、どれほど断片的であっても、やはり話してみる価値があるのです。ですから、分析セッションの時間を、たとえ1分や2分でも、日常的な気遣いによって無駄にしてほしくない、との思いから、当オフィスでは、クライエントから見えるところに時計を置いていないというわけです。(どうしてもご自身で時間を管理したいという方は、ご自身の時計をご覧になっていただいてかまいませんが、もしかすると、そこには他者に委ねることができないというテーマが潜んでいたりするのかもしれませんね。)

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