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胎児期における父親ならでは立場

更新日:1月23日

先日、専門家向けのブログにおいて、母親と一体性、父親を分離性と結びつけるのはステレオタイプであって、両親の適性に応じて養育機能は柔軟に分担されてよいのではないかということを示唆しました(よしなし文献紹介「父親の産後鬱」参照)。それは実際そうだと思うのですが、父親ならではの立場というものがあると、ある程度言えそうな時期もあるように思われます。


それは胎児期です。つまり、これから産まれてくる子どもが、まだ母親の胎内にいる時期です。胎児期はまだ子どもが生まれていませんから、厳密に言うと、まだ「父親」「母親」とは言えないかもしれませんが、心理的にはもう「母親」「父親」になる準備を始めていると思いますので、ここではお腹の中の子どもに対する「父親」「母親」と呼びたいと思います。


ウィンザーチェア

さて、胎児期に父親がどのように子どもと関わるかといえば、母親を介して想像的に関わることになります。つまり、お腹の中の子どもがどう動いたとか、何に反応しただとか、母親から聴くことで、その子がどんな子か思い描いていくわけです。


なるほどこういう音楽のほうがよく動くのか、パパとママが喧嘩しているときはこうなのか、仲良くしているときはこうなのか、じいじが来たら、ばあばが来たらそんなふうだったのか、ママが仕事中はそうなのか、パパが帰宅する前と後でそんなふうに違うのか、などなど・・


もちろん、母親も同様に、お腹の中の子どもがどんな子か想像を巡らせるでしょう。ただ、母親の場合は実際にお腹の中に胎児がいるという身体感覚に根ざした想像になるかもしれません。身体感覚に根ざしているからこそ、想像しやすい、とも言えますし、身体感覚の方に想像が引っ張られる、とも言えるでしょう。たとえば、やはり直感的に「小さな赤ちゃん」を思い浮かべるとか・・


父親にとって胎児は、母親を通してしか関わることができません。これが胎児期における父親ならではの立場なのです。すぐそこに我が子がいるのだけれども、その子のことを想像して関わるしかない。これは一見、子どもとの関係を作る上で、母親に比べて不利に見えるかもしれません。


しかし、身体接触を介さずに、大切な相手のことを想像しながら尊重して関わる、というのは、人間関係においてとても重要なことです。つまり、相手を自分とは分離した他者として認識し、なおかつ理解しようと試みるということです。こういう関わり方を、父親は母親よりも先に始めやすい立場にいると言ってもいいのではないかと思われます。


端的に言えば、父親は胎児期から子どものことを、主体を備えた個人として認識し、関わりやすい立場にいるのです。この意味では、母親は胎児期において子どもと一体であることに「縛られている」とも言えるでしょう。あるいは、養子縁組など、出産によらずに親子になった場合には、母親もここで言う父親のように、出会いの時点から子どもを自分とは違う個人として経験しやすい立場にいると言うこともできるかもしれません。


こども部屋

さて、このように、胎児期から子どもを一人の個人として経験し、関わってきた父親にはどんなことができるでしょうか。一つ大事なものをあげるとすれば、母親と子どものやりとり、相互作用を見てあげられることではないかと思われます。このことは、とりわけ赤ちゃんが生まれたばかりの新生児期や、固形食を食べるようになる前の乳児期などにモノを言うかもしれません。


というのは、この時期、母親は子どもに起こるいろいろなことを自分のせいだと思いがちだからです。ミルクや母乳をうまく飲めないのは自分の飲ませ方がわるいのではないか、なかなか泣き止まないのは自分のあやし方が下手だからではないか、などなど。全て自分のせいだと思うのは、裏を返せば、子どもの側の要因を考えていないということです。子どもを独立した個として見ることが難しくなっているとも言えるでしょう。しかし、実際は生まれたときから子どもは一人ひとり違うので、子どもの個性と母親の個性との相互作用で事は起きているわけです。


このことを、子どもをずっと前から個として経験してきた父親は、母親に語って聞かせることができるわけです。この子はお腹の中にいたときから〜〜だった、生まれてきたときも〇〇だった、だから今も△△なんじゃないか、それで母親とこの子とで□□のような感じになっちゃうんじゃないか、==のようにやってみたらどうだろう、自分も@@してみるよ、などなど。(ちなみに、よく観察すれば、分娩時点から「その子らしさ」のようなものは見えるものです)


つまり、すでに自責的になっている母親をさらに責めるのではなく、この子の「らしさ」への注目を促すことができるということです。「母親が」どうすべきかではなく、「この子には」どうしてやるのがいいか、「両親で一緒に」考えるモードへのシフトチェンジを呼びかけるのですね。


このように考えてくると、父親にも胎児期からすでに親としての重要な仕事があるというやりがいを感じることができるのではないでしょうか。また、母親がお腹の中の子どものことを教えてくれなかったり、母親の話を楽しみに聴くゆとりがない場合には、これから始まる「両親で協力して子どもを育てる」という大仕事に向けて、子どもが生まれる前からすでに懸念材料があるということになるでしょう。



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