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一緒にいることは、離れていることである

更新日:1月22日

今回は業績紹介といたしまして、2021年に出版された「自閉状態における象徴機能の発展」(精神分析研究 65巻2号 151~159頁)という論文に関わる内容を取り上げてみたいと思います。この論文は自閉的なクライエントとの分析セラピーにおいて起きてくる様々な現象を専門的に論じたものですので、ブログではこれをもう少し日常生活のことに落とし込んでみたいと思います。


自閉的な方は、誰かと一緒にいることは、ある程度その人と離れていることである、ということを知ると驚くことがあります。そんなこと誰も教えてくれなかったと。また同時に、そこが自分には難しいことだったのかと、納得したりもします。


誰かと一緒にいることは、その人と離れていることである、というのはどういうことでしょうか。私たちは、相手のことが好きだから、仲がいいから、一緒にいようとします。長く一緒にいるためには、互いの存在や考えを尊重することが肝となります。これは、仕事の関係や友達関係においても、恋愛関係においても、夫婦やパートナーシップ関係、家族関係においても同様です。尊重するとは、相手は自分とは違う人であり、自分とは違う考えや感情、行動様式を持っている、ということを認識し、受容することです。この相互尊重がないと、一方が他方に合わせることを強いたり、相手に合わせなければと思い込んだりして、一緒にいることが辛くなったりします。つまり、好きな人と長く一緒にいるためには、相手は自分とは分離した別個の存在なのだという前提を受け容れる必要があるのです。これが、一緒にいることは離れていることである、ということの意味です。


枯葉掃除をモチーフにした木彫作品
里佳孝「秋の庭」

多くの場合、「一緒にいる」という言葉が語られるとき、気が合うこと、一致していることが強調されますので、わざわざ口に出して「そうはいっても、それぞれ別の人間なんだから、違う部分もあることは弁えておかないとね」などと言ったりしないわけです。これから一緒にいようとしているときに、そんなことをわざわざ言ったら、「え、やっぱり本当は一緒にいたくないってこと?」などと相手に思わせてしまうかもしれません。ですから、日常的な会話においては、「離れていること」の部分は暗黙の了解になっていることが多いのではないかと思われます(なんと複雑でめんどうな気遣いが働いていることでしょう・・)。しかしながら、自閉的な方というのは、しばしば暗黙の了解になっていることに気づくのは難しいわけです。


さて、ここまでお読みになって、この「離れていること」の部分が苦手なのは自閉的な人だけではないのでは、と思われた方もいらっしゃるでしょう。その通りです。しばしば、人間の中の自己愛的な心性は、相手が自分とは違う考えを持っているということを脅威に感じ、その事実を否認したくなります。きっと相手も自分と同じだと言い聞かせて自分を安心させようとしたり、いよいよ違うことが否認できなくなると、今度は「そんな奴、こっちから願い下げだ!」と突き放してみたくなったりするわけです。このように、相手は自分とは違う人間であることを受け容れたうえで、相互理解に向けて対話を続けていくということは、人間関係一般において重要なことであると同時に、大変難しいことでもあります。


ただ、自閉的な方の場合、この難しさの性質が、自己愛的な心性のそれとは異なっているようです。さきほど、自己愛的な心性について、相手は自分とは違うという事実を「否認」したくなると書きました。「否認」という言葉には、「本当は見えているのだけど、見たくないから、見ない」というニュアンスがあります。「見たくない」のは自分と違うからです。つまり、相手の考えを少し察知しているわけで、相手の心と自分の心をある程度は見比べるキャパシティを有しているわけです。ところが、自閉的な方の場合、この意味での「否認」はそもそもできないことがあります。


どういうことかというと、相手の考えと自分の考えを、自分の心の中に「並置して、見比べる」ということがそもそも難しいのです。相手の考えを理解しようとすると、いつの間にか自分の考えがなんだったのかわからなくなってしまいます。逆に、自分の考えを言葉にしようとすると、それに対して相手がどう思うか考える余裕はなくなってしまいます。相手と自分を、同時に心の中に置いてみる、ということが非常に難しいわけです。


あるいは、この「相手」のところに、「その場の状況」や「話の流れ」を当てはめてみることもできます。そうすると、「その場の状況を理解するのに精いっぱいで、それに対する自分の意見なんて考える余裕がなかった」とか、「自分の考えを言おうと思ったが、そもそも何が問題だったのか、なんでこの話になったのかわからなくなって、自分の考えが的確な答えになっているのか全く自信がない」とかいったことになるかもしれません。行動様式や生活様式という水準で考えてみると、「相手に合わせていたら自分のリズムを忘れてしまって混乱する」とか、「自分がやりたいことと違うことを提案されるとフリーズしてしまう。妥協案を考えるとかムリ」といったことになるかもしれません。


ただし、実際には、自己愛的な心性と自閉的な状態はそれほどはっきり区別できないこともあります。それは、どちらもある程度ずつは誰しも有しており、それがどのような配分で出てくるかは、人や状況によって違ってくるという理由が一つあります。


もう一つ注目しておきたい理由は言語表現の問題です。本当は自閉状態からくる、「自分と相手を並置できない」ということであっても、それを「自分と違う意見は否定したくなる」とか、「人の気持ち考えるとかムリ」とかいった言葉で説明されると、あたかも、他者の存在を「否認」している自己愛的な心性のように聞こえてしまうことがある、ということです。私たちは、自閉状態を言い表すための語彙をもっと見つけ出さなければならないでしょう。


現状においては、相手側としては、「本当に自己愛的な心性からくるものならば、他者からの評価が気になるはずで、そんなに自己中心性や他者への侮蔑があからさまに露見するような言い方を選ぶだろうか」といった疑問を持ってみることが、相互理解を進めるきっかけになるかもしれません。表面上の言動だけでなく、それが出てくる動機やメカニズムにも思いを馳せてみるということですね。すると、「これは人を侮蔑しているというよりは、否定しないと自分が消えちゃうということを言っているのかな」と考えたりできるかもしれません。



さて、自閉的な方が「離れていること」の部分が苦手というか、実感するのが難しいことがしばしばあるのだとすると、逆にどのような感覚なら、「一緒にいる」こととしてしっくりくるのでしょうか。自分の感覚を説明する言葉は人それぞれで、一般化することはもちろんできません。ただ、あくまで一つの例として挙げてみるならば、「手に馴染んだ道具」のような感覚という場合があるかもしれません。


自動車に乗り慣れている人は自分の車の車幅感覚を直感的にわかっていて、駐車するときや狭い道で対向車とすれ違う時に、車の先端を目視しなくてもぶつかったりしません。スポーツをやるときに道具は身体の一部のように感じられるでしょうし、メガネをかけている人はレンズの存在を意識することなく見えていると感じるでしょう。このとき、道具たちは「一緒にパフォーマンスする馴れ親しんだ相方」であり、自分とは別個の存在だと感じてしまうとパフォーマンスがギクシャクしてしまいます。このように、自他の区別をほとんど意識することなく、ともに最高のパフォーマンスを生み出す相方という感覚が、「一緒にいる」ということの別のあり方である場合があるのではないでしょうか。


ただしここでもまた、言語表現には難しいところがあります。「人を道具のように使う」という言語表現はたいていの場合、否定的なニュアンスで使われます。しかし、よく吟味してみると、この言語表現で言わんとしているのは「人を人とも思わない」ということです。「心を持たず、したがってぞんざいに扱っても構わないもの」の喩えとして「道具」という言葉が使われているのです。これは、さきほど例に挙げたような、「親しみと愛着を感じる相方」という意味での「道具」とは全く違った意味です。


では、ここで話を戻して、心の中に自分と相手を並置することが難しい場合に、どのような代替案が考えられるでしょうか。月並みに聞こえるかもしれませんが、世界は広くていろんな人がいる、という世界観を共有することが一つの出口になる場合もあります。自分と相手を並置できないと言っているのに、いろんな人をイメージできるのか、と疑問に思われるかもしれません。しかし、ここには微妙ですが大事な違いがあるようです。


自閉状態において難しいのは、自分と相手を並置することだと述べましたが、これをもう少し厳密に言うと、自分と相手の「相互関係」を直感することが難しいのだと思われます。だから、進行中の会話について、自分と相手が相互に影響を与え合う過程をリアルタイムに直感し、その直感を過程に沿って更新し続けることは難しいでしょう。


ですが、たとえばジオラマとか箱庭のような感じで、その中に自分を含むいろんな人が入っている一つの場を、静的な風景のようにイメージすることは、何らかの形で可能である場合もあります。すると、自分と人は違うということや、自分は自分でいいし、人は人でいい、という感覚が、なんとなく、少しだけ、わかりやすくなることもあるかもしれません。また、このような世界観は、自閉状態が薄い人にとっても、自分と同じような人たちだけで世界が成り立っているわけではないことに目を向けるという意義を持つこともあるでしょう。

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