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セラピストの国語辞典4〜「自己責任論」

更新日:1月23日

「自己責任論」はわりとトレンドの言葉かもしれません。国語辞典として取り上げるのはいかがなものでしょうか。しかし、一見すると心理療法と相性が悪い言葉でもあるので、専門家の見解を示しておくことは大切かもしれません。


「自己責任論」が問題になるのは、人の不幸の原因をなんでもかんでも当人のせいにして、一緒に考えたり、みんなで幸せになる方法を考えたり、しなくなってしまうときでしょう。そうなると不幸な境遇にある人は、頑張っても仕方ないという諦めからますます考える気力を失って、それがまた「自己責任論」によって叩かれるという悪循環があるわけです。


これが心理療法と相性が悪いというのはどういうことかというと、心理療法は個人の内面的成長を志向しているところがあるからです。理論や技法の細かい違いはあるにしても、概ね、当人が自身の問題を自覚し、それと向き合って変化することで、不幸な境遇を打開していく、というモデルが想定されているかと思われます。すると、「やっぱり結局は本人が変わらないとダメだよね」という「自己責任論」に容易に回収されてしまいやすいわけです。


実際、「問題を人のせいにばかりしていた人が、自分の問題に気づき、関わり方を変えた結果、周りの人との関係もよくなった」といった事例は、専門家の間でもモデルケースとしてよく語られていたように思われます。精神分析の用語を使えば、相手から何かされるという被害感が優勢であった状態(妄想分裂ポジション)から、自分がやっていたことを自覚する状態(抑鬱ポジション)への進展ということになるかもしれません。


光が差し込む緑の部屋

ただ、「自己責任論」が取り沙汰されるようになった昨今の社会状況の中で臨床現場で出会う問題を見てみますと、この「自分の問題」の性質が変わってきているように思われます。以前は、上記のモデルケースのように、「本当は自分の問題であることを、相手のせいにしていること」が問題であることが比較的よく観察されたかもしれません。だからこそ、「問題の所在は自分であると引き受ける」ことが治療になったわけです。


ところが、どうも最近では、「本当は相手の問題であることを、自分のせいだと思い込んでいること」が「自分の問題」であるという場合が多いように思われます。具体的に言えば、「そんなの誰にでもある」と世間から言われてしまいそうなレベルでずっと続いていた外傷的な養育環境の問題や、診断閾下で理解されないままずっとズレた対応をされてきた発達障害的な特性の問題などです。


このような場合、いくら自分の問題を反省してみても、どうせ自分が悪いという自己卑下が深まるばかりで、本当の問題の所在である環境や相手を変えようor替えようという動きが出てこず、そのままでは治療にならないのです。むしろ、「本当のところ、自分は何をされてきたのか」を自覚することから治療が始まり、相手の問題と自分の「らしさ」を仕分けした上で、自分はどう生きていくかを考える土台を作るということが、治療になるということになってきているのではないかと思われます。


さきほど使った精神分析用語を援用してみると、なんでもかんでも自分が問題だと思っていた状態(疑似抑鬱ポジション)から、本当はけっこうなことをやられていたことを自覚し(背景にあった妄想分裂ポジションへの進展)、相手の責任と自分の責任を仕分けした上で引き受ける(真の抑鬱ポジションへ)ということになるかもしれません。


さきほどから使っている精神分析用語はクライン派対象関係論という精神分析のグループが好んで使う用語です。なぜ「対人関係」ではなく「対象関係」というのかというと、いろいろ複雑な背景はあるのですが、現実の対人関係だけを問題にしているのではなく、心の中の自分と相手(人を含む様々な対象物)との関わり方を問題にしているからです。たとえば、対象に期待できない人は、困ったことがあったときに人に相談するという発想を持ちにくいかもしれませんし、購入した電化製品に不具合が起きたときにも製品に問題があると思わずに、自分が選ぶものはだいたいこうなると思って諦めてしまうかもしれません。


海辺の灯火のような版画作品
南敦子「馳せる夜」

さて、「自己責任論」が問題となる状況をもう一度振り返ってみましょう。それは、人の不幸をなんでもかんでも当人のせいにして一緒に考えようとしない状態でした。この状況を対象関係論的に考えてみると、「自己責任」の背景に、自己に責任を押し付けようとする「対象」の存在が垣間見えます。つまり、「自己責任論」とは、対象関係論的に言えば、「対象無責任論」と言えるのではないでしょうか(もっと日常的な言葉で言えば、「自分以外無責任論」とでも言ったらいいでしょうか)。


このように考えますと、「自己責任論」というネーミング自体が、「自己責任論」の問題性をよく表していることがわかります。「自己」という名を冠することによって、背景にある「責任を押し付けようとする対象」の問題を見えにくくさせているからです。そしてこの構造は、さきほど申し上げた現代的な「自分の問題」、つまり「本当は相手の問題であることを、自分の問題だと思いこんでしまうこと」そのものですね。


「自己責任論」に縛られて苦しんでいる状態にある人は、心理療法によってさらに自分の悪いところを追及することになるわけではありません(しばしば周りの人はそういうものだと思って当人に勧めたりするわけですが・・)。むしろ、「自己責任」を押し付けてきていたのは誰なのか、何なのか、自分はどのような構造の中で苦しんできていたのかを見定め、その中でなんとかサバイブしてきた自分に光を当てることなのです。

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