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セラピストの国語辞典3〜「自信」

更新日:1月23日

「自信がない」という悩みは臨床においてもよく聞かれます。人の悩みの種としてもよく理解できるものでしょう。自信のなさの背景にしばしば見られる不安は、「人からどう思われるかわからない」といったものです。「わからない」とぼかしていますが、実際はかなり具体的に怖いことを想像しています。バカだと思われるんじゃないかとか、みんなの中で浮いてしまうんじゃないかとか、陰口を叩かれるんじゃないかとか、ウザいダサいと思われるんじゃないかとか、みんなが見ている前で非難されたり怒られたりするんじゃないかとか、やっかまれたり妬まれたりするんじゃないかとか・・・。つまりは、他者からの侮蔑や羨望、それに基づく攻撃を怖れているわけです。


自信がないという悩みを抱えた人は、多くの場合やはり、自信を持てるようになりたい、と望みます。そこで、自信がある人というのはどんな人だと思いますかとお聞きしますと、「人の意見に左右されない人」、「自分のやりたいことをできる人」という答えが返ってくることがあります。さきほど挙げた、背景にある不安から言えば、自然な答えでしょう。


森の中

ただ、この「人の意見に左右されない」というのは、もう少し仕分けが必要かもしれません。表面上の「人の意見に左右されない」という見た目が、どのように成り立っているのか、場合によって違いがありそうです。


ここでは、三つの成り立ちを仕分けして、それぞれ考察してみましょう。


一つ目は文字通りの意味といいますか、そもそも人の存在がそれほど気になっていないというパターンを想定できそうです。いわゆるゴーイングマイウェイと言ったらいいでしょうか。人の目線が、自己評価を左右するものとしては認識されていないといった状態です。自分の考え、自分のやりたいことに意識も行動も集中し、それしか見えていないような感覚でしょうか。この場合、うっかりすると人の意見を聞き逃して突っ走っている、ということが起きるかもしれないのはご愛嬌でしょう。また、この状態では、本人はそれほど「自信がある」と思っていないかもしれません。人の目線が気になって自信がなくなるという感覚があまりピンとこないかもしれないからです。まさにゴーイングマイウェイです。


二つ目は、人の存在は気になっているのだけど、「もう気にしないことにした」「もう人の意見は聞かないことにした」という状態を考えてみましょう。これは、最初から人の存在が気になっていない一つ目の状態とは似て非なるものです。本当は気になっているのですから、いわば強がりです。見ないことにしているのです。強がりですから、それを維持するのはけっこう大変です。うまくいっているときは一つ目の状態とあまり区別がつかないかもしれません。しかし、本当は人がどう言っているのか勘づいていますから、耳を傾けるべき意見だな、と内心では自覚しているときほど、猛然と自分の意見に固執したりしなければならなくなります。


ちなみにこの「猛然と固執」は、一つ目の「聞き逃して突っ走る」のとは違います。「聞き逃して」いるということは、聞こえたときには聞き入れることができる、ということです。「あ、そうだった、ごめん、ごめん」となるわけです。しかし、「猛然と固執」する場合は、聞こえているからこそ、聞こえないフリをしているわけです。周りが聞かせようとすると、ますます頑なにならざるを得ません。こうなってくると、この状態に対して周囲が向ける「あの人は自信があるね」は、ちょっと嫌味や皮肉が入ってくるかもしれません。


ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この強がりの状態は、冒頭で述べた「自信がない」状態と地続きです。人の目線が気になっているのがそのまま意識されている状態が「自信がない」状態です。それだと自分が嫌なので、気にしないことにした、人なんていないことにした、のが二つ目の強がりです。どちらにしても、冒頭でも少し触れましたように、人というものは自分を侮蔑する者、足を引っ張る者、羨望を向けてくる者、として認識されているのです。


これは、実際に自分の周りにいる人がそのように感じられるというだけではありません。自分の内面においても、「自分のやることなんて大したことない」、「失敗して恥をかいたらどうするんだ」、「誰も自分なんかに興味ないよ」などと、自分の中の声に脅かされていることでしょう。


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さてここで、この逆を考えてみることができます。つまり、人というものが自分を祝福する者、鼓舞する者、自分に興味を持ってくれる者、と認識されている状態です。これが、「人の意見に左右されない」の三つ目の成り立ちです。まず、内面において、自分の中の声から「自分は自分でいい」、「でもこういうことはやらないと人生終われないぞ」、「ところで、なかなかおもしろいことを思いついちゃったな」など、励まされているので、自分の芯がブレません。


さらに、自分の周りの人に対してもこういう認識を持ちますから、非難される、蔑まれる、という脅威を感じることなく、興味を持って相手の話を聞くことができます。ですから、実際には人の話を聞いているのですが、芯がブレないところが「左右されない」という印象を生じさせるのでしょう。


また、自分に興味を持ってくれて、鼓舞してくれる者、というのがデフォルトの人イメージになっているので、本当に自分を侮蔑する目的で誰かが近づいてきたら、「ん?この人はちょっと違う。まともに話し合うべき相手じゃない」と察知することもできます。それがわかれば、適当にあしらって早めに退散すればいいですね。


この点、「自信がない」状態や二つ目の強がりの状態ですと、デフォルトイメージが自分を侮蔑する者ですから、本当に侮蔑する人が近づいてきても、ある意味「予想通り。人ってそんなもん」なので、まともに相手をして傷つけられたり、さらに自信を失くさせられたりするかもしれません。一方、本当は肯定的な興味を向けてくれる人が近づいてきても、侮蔑する者というデフォルトイメージで見てしまうので、せっかくのチャンスを取り逃してしまったりもします。


さて、「自信がない」「自信がある」というのは日常会話でもよく出てくる表現だと思われますが、こうしてその成り立ちや背景を探ってみますと、案外、いろいろあるし、複雑だということがわかります。「自信がない」という悩みを抱えている人に、「自信を持てばいいんだよ」と簡単には言えなくなるのではないでしょうか。それは怪我をしている人に「怪我を治せばいいんだよ」と言っているのに似ていて、そんなこと言ってる暇があったら薬の一つも持ってきてくれ、というところでしょう。それと同じように、「自信を持て」と言う暇があったら、「自信がない」という話の背景を、興味を持って聴くことです。

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