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「私たちの問題」という同盟関係

更新日:1月22日

今回は2019年に「精神分析的心理療法フォーラム」の第7巻に掲載された「『知ろうとする』営みとしての分析的セラピー、文化継承としての『書くこと』」というエッセイをご紹介しながら、分析セラピーはどのように進んでいくものであると私が考えているかをお示ししてみたいと思います。


このエッセイは同年に学会の年次大会で行われた「精神分析的心理療法を書くこと、そして発表すること」という分科会において、発表者の一人としてお話ししたことを文章化したものです。分科会のテーマに沿って、一応体裁としては、分析セラピーの臨床実践を書いて発表することは精神分析を生きた文化として継承していくことであるという主旨を述べました。


ただ、裏テーマというか、私がこのエッセイで試みたかったことの一つは、あたかも一つの分析セッションであるかのように書いてみたかったということです。分析セッションがどのように進展していくものであるか、文章全体が具現しているような、そんな文章を書いてみたいと、意識するかしないかくらいのレベルで思っていたと思います。そんなわけで、査読論文ではなく、ある程度、著者の自由に書けるエッセイという利点を活かして、あえて自由連想風に書いたことを憶えています。


アンティークのライティングデスク

思いつくままに話していって、そこにセラピストのコメントが対話的に挿し込まれることで、ああそうだったのかと、当初は思いもよらなかった洞察に至る。結びついていなかったことが結びついていく。そんなプロセスを文章で表現することを試みたわけです。このエッセイを書いているときは、自分の心が活性化していくようで、とても楽しい、おもしろい時間でした。何人かの知人からは、大いに刺激を受けた旨、お知らせいただき、私としても励みになりました。


そして、このエッセイで試みたもう一つのことは、自分の個人分析の一部を書いたことです。伝統的な観点からすれば、そのようなプライベートなことを公表してしまうのは、個人分析の分析セッションで取り扱われるべきことが外部に漏れ出ている行動化であって、個人分析が不十分であることの証左である、ということになるでしょう。


しかしながら、私が個人分析をはじめとした訓練において学んだことは、分析セラピーとは、当初クライエントの問題であったものが、セラピストが関わることによって、セラピストとクライエントがともに関わる「私たちの問題」になり、「私たち」でその問題に取り組んでいく同盟関係が形成されることによって、変化が起きていくということでした。つまり、セラピストがクライエントの問題の「当事者」の一人になっていくということです。それはどのように起きてくるかといえば、一つには、クライエントの問題とセラピストの問題が連動しながら理解が深まることによってです。それを、このエッセイでは提示しようとしました。


ですから、私の臨床実践やその理解が、いかに私自身の問題と連動しているかということを示すために、個人分析の一部を書いたわけです。その後、同様の試みが物されたことは、私にとっても後押しをもらったようで、嬉しく思いました(参照「子どもの精神分析的セラピストになること」木部則雄・平井正三監修、吉沢伸一・松本拓真・小笠原貴史編著、2021年、金剛出版)。


さて、この「私たちの問題」という感覚ですが、もちろん、クライエントの感覚としては、セラピストの問題を一緒に解決してあげるために通っているというふうには思っていないと思います。クライエントは当然のことながら、自分自身の問題をなんとかしようと分析セラピーに通っているわけです。また、セラピストの感覚としても、クライエントの問題と自分の問題を混同して、クライエントの分析セラピーをセラピスト自身の自己治療の場にしてしまうということでもありません。


なかなか表現が難しいところですが、セラピスト側からすると、クライエントの人生が他人事ではなくなるという心の状態です。メタファーを使うならば、親が子を見る眼差しに準えることができるかもしれません。



子どもは親のものではありません。ですから、親としては、あくまで子どもは自分とは別の独立した人格であるということを弁えなければなりません。しかしながら、だからといって、子どものことを「他人」だと思ったり、子どもの人生を自分とは全く関係がないというふうには思ったりはしないでしょう。


子どもが困難にぶつかっていれば、それを乗り越えられるよう、手助けしてやりたいと思うのではないでしょうか。あるいは、親である自分との関係において(つまり親子関係において)何らかわだかまりがあったりするようであれば、子どもが人間関係の新たなステップへ踏み出せるよう、胸を貸してやりたい思うのではないでしょうか。


また、子どもの「らしさ」がどのように花開くのかと未来を思い描きながら(それが自分の願望の押しつけにならないように注意深く自己観察しながら・・)、できるだけよい環境や適切な機会を用意してやりたいと思うでしょう。


そして当然、親も万能でない以上、その手助けや胸を貸すことの中で、親自身も自分のテーマや限界と格闘することになるわけです。あるいは、子どもが「らしさ」を発揮する過程で親を超えていくことを喜んで祝福したりするわけです。


つまり、「私たちの問題」という同盟関係とは、クライエントの問題に対して当事者の一人として関わっていくことです。自分自身も問題を抱えた人間であることを自覚しながら、手助けしたり、胸を貸したり、できるだけのことをしていくということです。そして、クライエントの生き様の証人として、クライエントの生の展開を祝福することです。

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